『猫ふんじゃった』に学ぶ最強の処世術

考察

誰でも怒ることはできる、それは簡単なことだ。
しかし、正しい人に、正しい程度に、正しい時に、正しい目的、正しい方法で怒ること、それは簡単ではない。

by アリストテレス

コロナで撮影が思うようにできないからなのか、最近”おもしろペット動画”をテレビで目にすることが多い気がする。
大の動物好きで保護犬やペットショップの売れ残り犬を飼っている私にとっては、これはコロナがもたらした多くの負の影響の中の、数少ないプラスの一面。
昨晩もかわいい動物たちを見ながら晩酌していた。

番組中に、とある美しい猫が出てきたときのこと。
ふと私の脳裏に童謡の”猫ふんじゃった”浮かんで口ずさんでみたのだが、
♪猫ふんじゃった♪猫ふんじゃった♪猫踏んだらねーこが・・・?
ねーこが・・・あれ?なんだっけ??

この続きが思い出せないのだ。

一度思い出せないことに気がついてしまうと、そのままにしておくのは気持ちが悪くてたまらないのでネットで調べてみた。

『猫ふんじゃった』 阪田寛夫作詞

ねこふんじゃった ねこふんじゃった
ねこふんづけちゃったら ひっかいた
ねこひっかいた ねこひっかいた
ねこびっくりして ひっかいた
悪いねこめ つめを切れ
屋根をおりて ひげをそれ
ねこニャーゴ ニャーゴ ねこかぶり
ねこなで声で あまえてる
ねこごめんなさい ねこごめんなさい
ねこおどかしちゃって ごめんなさい
ねこよっといで ねこよっといで
ねこかつぶしやるから よっといで

そっか、引っ掻いたか。
あー、すっきりした!


と思いつつも残りの歌詞を読んでみたら、なんかこの人ひどくない?
自分から踏みつけておいて、びっくりした猫が正当防衛で引っ掻いたら”悪い猫”
挙げ句の果てに”爪をきれ”だとか”ひげをそれ”だとか、開いた口が塞がらない。

でもこういう人、人間vs人間でもよくいる。
自分が100%間違っているor悪いのに、真っ向から正論を突きつけられると逆ギレするやつ
私も若かりし頃はこういう人間に間違いを認めさせようと正面からぶつかって行くことがあったが、何度も猫ふんじゃったの歌詞のような目にあったので、今ではとにかく関わらないというスタンスを取るようにしている。
冒頭のアリストテレスさんが言っているように、正しい人に、正しい程度に、正しい時に、正しい目的、正しい方法で怒ることは簡単ではない
そもそも相手が正しい人なのかも定かではないし、私には正しい方法というのがなんなのか見出せないので、諦めているのだ。

しかしこんな私を目覚めさせてくれたのは歌詞後半にある、完全な被害者であるはずの猫の言動。
日向ぼっこでもしてまったりと寝そべっていたのであろうところを突然踏まれて、おそらく条件反射的に身を守るために相手を引っ掻いたら、爪を切れだとか全く今回のことと関係のないひげをそれだとかイチャモンを付けられた猫先輩。

私だったら
「先に踏みつけてきたのはそっちなんだから、あなたが謝るのが先でしょ!」
とか怒っちゃいそう。

でもこの対応だと、相手をさらに逆上させるのは目に見えている。
踏んでしまったという罪悪感と引っ掻かれたという事実に、半ばパニック状態の人間に対する最善の対応ではない。
これぞまさしくアリストテレスさんがおっしゃる『簡単ではない』状況である。

ここで猫先輩がとった対応は秀逸だ。
なんと猫がネコかぶりですよ。
自分が人間を骨抜きにできる魅力を持っていることを十分に理解したうえで、可愛らしいニャーゴニャーゴという声を聞かせて相手をまず安心させ、膝の上にでも乗ってフワフワの毛でも擦り付けたのだろうか、へり下って甘えたというのだから脱帽だ。
踏まれて痛かっただろうに、なんという度量の広さ。
今の未熟な私には到底真似することはできない。
アリストテレスさんもきっと天国で拍手を送っていることだろう。

どんなに頭に来ることがあっても冷静さを失わずに瞬時に最善の策を見出し、結果として理不尽な要求をしてくる相手に”ごめんなさい”を言わせるだけでなく、慰謝料がわりの鰹節まで獲得した猫先輩。
見事な処世術だ。
今までたくさんの自己啓発本や、世渡りの方法を教えてくれる本を読んできたが、ここまで端的に手本を示してくれた例はあっただろうか。
アリストテレスをもってしても『簡単ではない』と言わしめた困難な状況の乗り越え方を、わかりやすく示してくれるこの童謡『猫踏んじゃった』。
小学校あたりの道徳の授業で深く掘り下げてみたらいかがかしら。

考察
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